Blog

氏名冒用訴訟 2

学問のすすめ

もう10数年前の話です。

 

当時勤務弁護士(居候弁護士。略して「イソ弁」)だったのですが,私は,ボスからある事件の処理を任されました。依頼者は,親子でした。親子といっても子供は40歳代ぐらいの成人男性(A)と,高齢の母親(A母)でした。AとA母の話によると,Aは,亡父からの相続で,自宅土地建物と貸店舗不動産の双方を取得していたのですが,その不動産を狙った悪い輩に夜な夜な遊び場に連れて行かれ,少額の遊ぶ金をその悪い輩から融通して貰っていたようです。そして,更に遊ぶ金欲しさや,その少額の金を返済するために,金貸し(B)を紹介され,わずか300万円を借りただけなのに,金貸しBに自宅と貸店舗双方を取られてしまったのです。実印,権利証,印鑑証明書等の大事な書類等もその金貸しに言われるがままに渡し,売買契約書や,領収書や,白紙の委任状等に何通も署名捺印をしたようです。

 

すっかりお手上げ状態でした。
まだ弁護士なりたてだった私は,依頼者からの相談を受けながら,「こんなの助けられっこない!」と思っていました。
案の定,相談者は東京のいくつかの法律事務所を周り,どこの弁護士からもサジを投げられていました。
当然,私のボスも相談者の依頼を断るだろうと思っていました。
しかし,ボスは依頼を受けたのです。

 

相談者が帰ったのち,
私 「こんな勝てない事件なぜ受けたんですか。」
ボス 「うちが受けてあげなければ,誰が(彼らを)助けるんだ。可哀想じゃないか。」
私 《でも,助けられないよ…》(心の声)
というやりとりがありました。

 

当初の我々の方針は,自宅と店舗建物をとった金貸しBと示談交渉をするというものでした。本来であれば,筋の悪い金貸しB相手に示談交渉は好ましくないと思うのですが,裁判で戦うにはあまりにも証拠がなさすぎでした。逆に,相手は,訴訟で勝つのに充分すぎるほどの証拠を持っていたのです。
その金貸Bは,300万円程度の金を貸したにすぎないにもかかわらず,各4000万円合計8000万円程度の評価はある不動産を入手したのですから,300万円プラスアルファを支払うから,不動産を返せという交渉をしていました。

 

しかし,Bも強気で,法外な金額を突きつけてきたのです(いくらか忘れてしまいましたが,数千万円だったような…)。電話で金貸しBと話しをしていたボスは,怒り,「じゃ仕方ないですね。裁判所でお会いしましょう。」と言って受話器をたたきつけていました。それと同時に私に対して,「じゃ,仮処分の申請頼むよ。」と。

 

仮処分というのは,正確には「処分禁止の仮処分」というものですが,本来の訴訟をする前の前哨戦のようなものです。「これから『この不動産はAのものだから名義を返せ!』とBを被告として訴訟をする予定ですが,その訴訟中にこの不動産の名義がBから第三者に移転されてしまうと意味がなくなってしまうので,Bが名義を第三者に移せないようにして欲しい。」と裁判所に申立をするのが,「処分禁止の仮処分」です。
この仮処分をするにも,訴訟で勝てる見込みがないと認められません。つまり,AがBには不動産を売却していないとか,売却していたとしても,それは詐欺や錯誤で無効だということがある程度証明されなければいけないのです。

 

何も証拠がなかったので,仮処分は認められないだろうなと思い,私の処理も少し消極的だったかもしれません。そのため,仮処分申請の準備もなかなか進みませんでした。
そんななか,A母から連絡がありました。

A母 「その後,進捗いかがでしょうか?」
私 《しまった。まだ手を付けられていない…》
   「先日登記簿謄本等の資料が揃いましたので,申請書の準備にとりかかります。」
  《本当はもう少し前に揃っていたけど…》。
   「ええと,登記簿を見ると,……む?……あれ?……??ちょっとすみません。一旦電話を切らせていただきます。直ぐに電話をし直します。」

 

登記簿謄本というのは,不動産の所有者や担保設定状況など,不動産に関する権利関係が記載された書類なのです。この登記簿には,所有者の履歴も記載されているので,Aの父親からAに相続で名義が移ったこと,Aから金貸しBに売買で移転したことが記載されているのです。だから,最終の名義人(所有者)はBであることが登記簿を見て分かるのです。
ところが,AからBへの所有権移転登記の後に,「予告登記」という見慣れない登記がついていたのです。

 

予告登記というのは,「これはB名義になっているけど,AとBの売買に問題があるからAがBに訴訟を起こしましたよ。だから,この不動産はBのものではなく,Aのものになるかもしれませんよ。だから,Bからこの不動産を購入する方は注意して下さい。」という意味の登記です。訴訟を起こされた裁判所が,職権で,法務局に嘱託をして登記されるのです。つまり,この予告登記は,AはBに訴訟を提起しているという事を意味しているのです。(今は,予告登記という制度は,不動産登記法の改正でなくなりました。)

私は,A母との電話の最中,
《あれ,訴訟なんか提起したっけかな? 忙しかったのに,その隙を見つけて訴状提出したのかな?ん?でも,仮処分の申請もしていないよな?……っていうか,訴状を起案した覚えがないな…。》
とパニックになっていました。

 

A母との電話を切って冷静に考え直し,少なくとも私は訴状を提出してないことはハッキリしました。しかし,予告登記の横には,「平成○年○月○日 横浜地方裁判所訴え提起」と記載されていましたので,Aが訴訟を提起したらしいということはわかりました。ただ,A母からの電話は,すでに夜9時頃でしたので,裁判所にも確認できませんでした。

私は,早く真相を解明したいと思い,翌朝一番に,横浜地方裁判所に行って記録の閲覧をしたのです。